今、かつてレールスターと呼ばれた車両で大阪に向かっている。
新幹線車両の推移を思い出しながら(主に西日本エリア)。
長く親しまれた車両は「団子鼻」と呼ばれた初代の車両で0(ゼロ)系。
昭和39年のデビュー以来30年以上走っていた。
ビュッフェや食堂車も連結され、旅を快適に楽しめていた。
また、すべての車両に走行用のモーターが付いていて、加速や高速性能を狙った。
電車列車といえどもすべての車両にモーターが付いたのはたぶん日本で初めて。
ここから、全員が一丸となって働くことを「新幹線型経営」などと言っていた。
国鉄時代末期になって100系という車両が開発された。
これは4両のモーターのない車両があった。
当初は先頭車と、中間の2階建てグリーン車・食堂だった。
後にJR西日本はこれを中央の4両にまとめた「グランドひかり」という列車を作った。
「旅を楽しめた」最後の新幹線だ。
これ以降の西日本エリアの新幹線には食堂車はない。
そのあとにできたのがJR東海が作った300系。
最高時速270kmで走り、東京・大阪間を少しでも早く結ぶため、
当初は名古屋駅を通過させていた。
そのあとにできたのが時速300kmを誇る500系。
500系はJR西日本が総力を挙げて開発した車両。
この車を作るために「WIN350」という試作車を作り、
騒音や環境に気を配りながら開発した。
このため、500系の先頭形状は「かわせみ」から学んだ形だと言う。
(写真左側、奥の車両)

これに対して700系は、JR東海と共同開発した車。
車内空間と定員の確保に重きを置いた。
先頭形状は「あひる」(写真右の車両)。
そしてこれに「アルゴリズム」という手法と、
車体傾斜装置によるカーブでの高速性能を確保したのがN700系。
だったような記憶が・・・
たぶん間違っていないと思うけど(笑)
鉄道会社をやめてもうすぐ15年。
当時私を窓際に追いやっていた上司たち。
0系が500系に変わっても
「我々は新幹線型経営を目指す」などと言っていた。
この話、知らずに国鉄時代のままの頭だったのだろう。
でも、この方たちのおかげで悔しさをバネにすることができた。
おかげさまで豊かな生活をしている。
鉄道の専門家になりたかったが・・・
新幹線車両の推移を思い出しながら(主に西日本エリア)。
長く親しまれた車両は「団子鼻」と呼ばれた初代の車両で0(ゼロ)系。
昭和39年のデビュー以来30年以上走っていた。
ビュッフェや食堂車も連結され、旅を快適に楽しめていた。
また、すべての車両に走行用のモーターが付いていて、加速や高速性能を狙った。
電車列車といえどもすべての車両にモーターが付いたのはたぶん日本で初めて。
ここから、全員が一丸となって働くことを「新幹線型経営」などと言っていた。
国鉄時代末期になって100系という車両が開発された。
これは4両のモーターのない車両があった。
当初は先頭車と、中間の2階建てグリーン車・食堂だった。
後にJR西日本はこれを中央の4両にまとめた「グランドひかり」という列車を作った。
「旅を楽しめた」最後の新幹線だ。
これ以降の西日本エリアの新幹線には食堂車はない。
そのあとにできたのがJR東海が作った300系。
最高時速270kmで走り、東京・大阪間を少しでも早く結ぶため、
当初は名古屋駅を通過させていた。
そのあとにできたのが時速300kmを誇る500系。
500系はJR西日本が総力を挙げて開発した車両。
この車を作るために「WIN350」という試作車を作り、
騒音や環境に気を配りながら開発した。
このため、500系の先頭形状は「かわせみ」から学んだ形だと言う。
(写真左側、奥の車両)

これに対して700系は、JR東海と共同開発した車。
車内空間と定員の確保に重きを置いた。
先頭形状は「あひる」(写真右の車両)。
そしてこれに「アルゴリズム」という手法と、
車体傾斜装置によるカーブでの高速性能を確保したのがN700系。
だったような記憶が・・・
たぶん間違っていないと思うけど(笑)
鉄道会社をやめてもうすぐ15年。
当時私を窓際に追いやっていた上司たち。
0系が500系に変わっても
「我々は新幹線型経営を目指す」などと言っていた。
この話、知らずに国鉄時代のままの頭だったのだろう。
でも、この方たちのおかげで悔しさをバネにすることができた。
おかげさまで豊かな生活をしている。
鉄道の専門家になりたかったが・・・
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